sit_bn.jpg

2015年12月12日

マクロビオティックのその先。

大阪スタッフのわこうです。

また今回も、普段思っていることを書いてみようと思います。




先日、マクロビオティックが窮屈でもうイヤだ!という話を聞きました。


いろんな誤解がたくさんあっての話だなーとも思います。


例えば、そもそもマクロビオティックが、
健康法だとか食事法だとか、病気治しとかが、
目的となっている方がたくさんいらっしゃるので、
そういうところからマクロビオテイックを見ていくと、確かに辛いですね。

入り込めば入り込むほど厳格になっていって、
食事制限であれ食べちゃダメとかなんとか・・



私も、2005年にマクロビオティックを知り、
最初は、「みんなそうだから」という理由で、
あまり深く考えずに玄米食で完全菜食を実行しました。


確かに気持ちも穏やかになり、
排毒もたくさんして身体がきれいになった実感がありました。



そのころ、マクロビオティック創始者の、
桜沢如一先生の本をいろいろ読んだわけですが、、
確かに食事についてもたくさん書いてあるけれども、
精神論もメッチャ多いなーという印象も同時に受けました。


私が感じた桜沢先生の印象は、
とにかく人生を楽しんで生きたんだなーということ。


もちろん大変だったこともたくさんあったと思います。


例えば、有名な話で、戦時中に思想犯として当局に連行され、
厳しい尋問も受けたようです。



以前、桜沢先生の愛弟子のひとりであった、田中愛子先生にお会いした時も、
その時のことに触れられ、お弟子さんたちとあの手この手を使って、
桜沢先生を釈放してもらうために活動したとおっしゃっていました。


さらに、桜沢先生は何をするのも一生懸命。
掃除すらも本気で一生懸命されていたと。

バイタリティに溢れ、とても魅力的であったと。


私は、マクロビオティックの真髄は、
そのあたりにあるのではないかと思うんですよね。



人生をとことん楽しむ。楽しんで生き抜く。

死ぬその瞬間まで楽しんで生き抜く。



マクロビオティックは、何も食事制限で縛りを多くして、
人生をつまらなくするものではなく、
人生を楽しんで生きるために、
食べ物と身体を、陰陽のバランスで捉えて考えて、整えていく、
ということなんだと思い、逆に菜食を止めたんですよ。


その当時、私はいろいろきばったり戦わなければいけませんでした。


新たに商売を立ち上げたばかり。精力的に動く必要がありました。


時にはお肉やお魚の力が必要なときもあるな、と。



そんな時に山村先生に出会い、過去記事にも書きましたが、
「わこうさんはもっとお肉とか動物性の食品をとったほうがいいですね。」
と言われ、とても気持ちが楽になったことを思い出します。


どこまで行っても陰陽だし、
その先には、楽しく人生を生き抜くこと、ということが最終目標です。


ただ、やみくもにノリやテンションだけのうれしい楽しいでは、
一時的なので長続きしません。

そこにはやはり根拠が必要です。


そこに、桜沢先生が言う「最高判断力」が必要になってくるわけです。



人生は選択の連続です。

その時々にベストな判断ができるように、
アンテナを磨いておく必要があり、そのために食事を整え、身体を整えていく、
ということだと、私は解釈しています。


現在12月ですので、忘年会シーズン真っ只中です。

年末年始にかけて、ご馳走をたくさん食べる機会も多いと思います。


「食べてしまった・・」と罪の意識にとらわれるくらいなら、
食べるときは食べ、律するときは律する、
という割り切りがあってもいいのではないのかな、と。



山村先生が講座の中でよく例え話をされますが、

「川の対岸まで渡るとき、対岸も見なければいけないし、
足元にある、次に渡る石がどこにあるのかも同時に見なければいけない。」


人生の大目標が、「楽しんで生き抜く」ということだったら、それが川の対岸。

そして、それを実現するために、具体的に何を選択していくのか、
というのが足元の石、ということですね。



マクロビオテイックが苦しいなーと感じたのなら、
知らず知らずに足元ばっかり見ていないか、
一度顔を上げて確認してみたらいかがかなと。


そして、対岸に目をやって、「ああ、そうだった。」と、
もう一度人生の目的を思い出す。


その繰り返しだと思うんですよね。



最高判断力で楽しい人生を生き抜く。

抽象的ですが、これが真理だと確信しています。



posted by スタッフ わこう at 13:49| Comment(0) | スタッフの日記 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする